みなさんは「井桁」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
実際にはあまり聞きなれない言葉かもしれません。
井桁とは、掘削した井戸の上部の縁を木や石などを使って井の字型に組んだもので、井戸の蓋のとしての役割も持っています。
今回はあまり聞きなれないかもしれない、「井桁」について少し調べていこうと思います。
井戸は、古くから生活に欠かせない大事な水源ということで大事に扱われてきました。
その生活に密着した重要性の高さから、井桁は武将の間で家紋として使用されるようになります。
井桁紋には、井桁そのままの形を使ったシンプルなものを始めとして、井筒を表す円形で囲んだものや複数の井桁を組み合わせたものまで様々な種類があります。
また、井桁の中に花模様を配したり、白黒反転させたりした斬新な井桁紋も散見されます。
そういった歴史の流れを受けて、自らの姓の一部を井桁の中にデザインした家紋を用いる三井といった財閥も登場するようになりました。
住友グループも結束の意味を込めて井桁紋を商標として使用しています。
<住友は三菱グループ以上に「結束の住友」として井桁マークののれんにこだわった。>
引用元:“wikipedia
これは、四方それぞれしっかり連結して組み上げられた井桁の構造が、組織の強固さを表すものとして考えられたものです。
それでは、具体的に歴史上の武将たちはどのような井桁紋を使用していたのでしょうか。
一番初めに井桁紋を使用した武将とされているのは、朝倉氏に仕えた甲斐氏です。
この事実は、日本の武将の家紋を集録した「見聞諸家紋」という書物の中で確認することができます。
その他、その姓に井を含む石井氏や井上氏などの武将の間でも使用されていることがわかっています。
その中でも特筆すべきは、井伊氏の井桁紋です。この武将の家紋は、元々井桁の井を筆記体で記した素朴なものでした。
これは、後にデザイン性の高い幾何学的な家紋へと変化していきます。
そもそも井伊氏が井桁を家紋としたのは、その姓が「良い井戸」に由来することによります。
井伊氏の祖となった人物は、井戸の中から現れた赤ん坊であるという伝説が残っているのです。
この赤ん坊は、神主によって橘の脇で発見されました。
この伝説に基づいて、後に井伊氏は家紋として井桁と橘を別々に使用するようになります。
また、井筒の中に橘を入れた家紋も井伊氏のものです。
姓に井を含む武将の中には、その来歴を井桁紋に表現している者もあります。
例えば、長井氏や駒井氏など養子縁組によって結ばれた武将の家紋は、
二つの井桁を上下に重ねた「重ね井桁」や組んだ様を立体的に表現した「組井桁」といったデザインが採用されています。
以上のことより、同じ井桁紋でも武将の数だけ様々なバリエーションがあることがわかります。
多くの武将の家紋として使われるほど大事に扱われてきた井桁ですが、実際にこの部分は井戸本体にとってどのような意味を持つのでしょうか。
井戸は、掘って水が出たからと言ってそのまま使用できる訳ではありません。
地面と同じ高さの井戸だった場合、周囲の土や塵が混入することで折角のきれいな水が台無しになってしまうのです。
特に雨が降った時などは雨水が流入する可能性が高くなります。また、子どもなどが井戸に気づかず転落してしまう事故も予想されます。
こういったトラブルを防ぐために、井戸を掘ったら井桁を組んで地面より高い位置に井戸の入口を作る必要があります。
井桁があることで井戸に蓋ができるようになるため、外部からの水質汚染も防げます。
その他、井桁には井戸のデザイン性を高める役割もあります。
格式ある屋敷内の井戸などでは、意匠を凝らした井桁を見ることができます。
使用される木材や石材についても、一級品のものが使用されるなど材料についてもこだわりが感じられます。
その屋敷の建物や庭に引けを取らない立派な構造の井桁を作ることで、生活の一道具としての井戸が美しい美術品に生まれ変わるのです。
実用性が高く美術的な価値もある井桁は、井戸を語る上で欠かすことができない大事な部分です。
これから井戸を作るという方は、この点にも考慮して計画を立ててみてはいかがでしょうか。